臙脂




「そんで、“よく頑張ってんなー” って、」
「ほ 褒めてくれる、んだ よー!」

泉孝介は口に含んだいちご牛乳をごくりと飲み込んで、目の前の二人に気付かれぬよう小さく溜息をついた。田島に 「これチョー面白いから、泉も読んで!」 とドサッと一気に10冊押し付けられた漫画の主人公が愛飲しているいちご牛乳。授業と授業の間の10分ほどの時間に少しずつ読み進めていたら、なんだか懐かしくなって飲みたくなった。そういえばオレ、ガキのころ好きだったなー・・、なんて感傷に浸れたのは最初の一口で、次からは口の中に広がる人工的な甘ったるさに胸焼けしてきて、パックの半分を過ぎた今ではパンをいちご牛乳で飲み込んでいるのか、いちご牛乳をパンで流し込んでいるのかわからなくなっている。

「田島、これおもしれーな。まだ読み終わってねェけど、続きも貸してくれるか?」
「全然おっけー! 明日持ってくる・・・って泉、お前オレらの話きーてんのか!?」

きゃんきゃんと吠える2匹の子犬に、泉の意図は看破されたらしい。思わず漏れそうになる小さな舌打ちをすんでのところで飲み込んで、泉は机に肘を突き面倒くさそうにパンにかぶりつく。当たり前だが男子高校生の昼食マナーに関して、口出ししてくる輩などいるはずも無い。

「聞いてるっつーか、もう散々聞かされたっつの。 “頭撫でられるのスゲー嬉しい” んだろ?」

ぱちぱち、と大きな瞬きをいくつか繰り返し、泉の目の前にいる2匹の子犬は同時に大きくうなずいた。図ったわけでもないのにピッタリ揃ったタイミングに、当の本人たちが既に真ん丸の目をさらにキラキラ輝かせ、顔を見合わせてにししと笑う。別に特別動物好きだったわけではないが最近泉は、ドッグトレーナーになる道を模索している。

あの時はさー!、と先日の話で盛り上がり始める2匹の子犬を見遣り、泉は再びもう一度、小さなため息を吐き出す。くく・・っ、と堪えきれなくなったように聞こえてきた忍び笑いは考えるまでもなく浜田のもの。泉がじとりと睨みをきかせても尚、ヤツは 「悪ィ・・!」 と声に笑みを滲ませた。

昼休み、田島によるこの鳩羽書房訪問談は泉や浜田にとって当たり前で、今や9組の恒例になりつつあるのだから恐いが、突然、何の前触れもなく 「うあーッ、会いてぇーっ!」 などと教室の真ん中で叫べばそりゃあ恒例にもなる。お調子者で運動神経バツグンな田島は、入学してきたときからそのポジションが当たり前であるかのようにクラスの人気者。クラスの男子には勿論、女子にも 「田島くんって元気でカワイイよねー!」 などと噂に上る筆頭だが、最近のヤツの行動のせいで噂の質が変化しつつあることに気付いたのは勿論、田島本人ではない。

「(・・ったく、田島のやつ。こんなだから最近、昼飯を分けてくれるやつが減るんだっつーの)」

―― しかし泉自身、田島にそこはかとない望みをかけていた女子の心変わりは仕方ないものだと、思う。



ー! また来た!」
「田島、お前よっぽどヒマなんだな・・・って、今日は三橋じゃないんだ」

鳩羽書房の店の中は当然、本のにおいに満ちている。人工的な冷気と共に体を包むそのにおいは、図書室を彷彿とさせて。本屋=図書室という、我ながら短絡的な思考回路に苦く笑い、レジ机の向こうからヒラヒラと手を振る人に泉は小さく会釈した。

さんと田島を指して、「飼い主とその飼い犬」 と表現したのは誰だったろう。少し前まで、そのポジションはどちらかというと花井のものだったような気がするのだが――言い得て妙だと、みんなして深く納得したのは記憶に新しい。さんにポジションを奪われた花井は、「田島のおかん」 へと見事昇格し、そう遠くない未来 「西浦のおかん」 へレベルアップすることだろう。ヤツの苦労が涙を誘う。オレは絶対そうはならない。

「えーっと、泉くん・・であってる?」
「あ、はい。覚えててくれたんスか」
「任せろ」

ニッと唇の片側だけを持ち上げて笑うその表情は、ウチのチームの性悪キャッチャーの最も得意とする笑い方なのに、どうしてこうも受ける印象が違うのだろう。どこか、兄が自分を見る目と似ているような・・でもそれよりも視線の先が丸く柔らかで、こちらの緊張を自然と解きほぐす。

「泉はオレらと同じクラスなんだぜ!」
「・・ “オレら” ?」
「ああ、三橋のことです。オレと田島と三橋、同クラなんで」

そう言った途端、さんは実に奇妙な顔をした。同情しているような、哀れんでいるような、でもほんの少し面白がっているような、とても一言では言い表せそうにない複雑な表情。

――・・苦労、してんだな」

この一言に、普段のさんの苦労が垣間見えるというものだ。

「なんだよそれー! どーゆー意味だよ、!」
「べっつにー、なんでもありませんー。な、泉?」
「オレを無視して話すんなっ!」

むー、と頬を不満そうに膨らませて、田島は今にも飛びかかろうとする寸前だ。野球部随一・・否、西浦高校で最も優れた運動神経をもつ田島を持ってすれば、腰の辺りぐらいまでしかない机など、レジやその他売出し中の本が平積みになった机など、難なく飛び越えていくだろう。

「はいはい、悪かったな 田島」

けれど、田島が実際に机の端に手をつき、それに体重を乗せていざ地を蹴ろうとしたとき。さんの手がものすごく自然に、当たり前のように田島の頭をわしゃわしゃ撫でた。部活中でもない限りそうそう見かけることもない光景は、少なからず泉をぎょっとさせる。話には聞いていたが、実際目の当たりにすると妙な感じだ。しかも、つい数秒前まで機嫌を損ねかけていた子犬が今や耳をピンと立て、しっぽをはちきれんばかりに振っているのだから、現金なものだと笑みがこぼれる。けれど泉はクラスメイトとして、チームメイトとして、同い年の男友達として、知っている。田島はどちらかというと、狼の子なのだ。


「オレさー、に頭よしよしされんのちょー好きなんだけどさぁ、」
「・・何だよそれ、惚気てんのか?」
「違ェよ、だってそんな気全然ねーもん」

そうポツリと零した田島はこの時、切なげな肉食獣の目をしていた。

「なんかそれが、ちょっとムカつく」


禁猟区域

(・・田島お前、マジだったんだ)(! 当たり前じゃん! オレのことちょー(バカ、ンな大声出すんじゃねぇよ。三橋起きんだろーが)(わッ、やべっ)(・・で? お前はどーしたいわけ)(どーって言われても、どーしよーもなくね?)(・・ 「子ども扱いすんな」 とか言ってみりゃどーよ)(別に子ども扱いされんのが嫌なわけじゃねーしなー・・)(まぁ、ンなこと言ったら頭撫でられたりとかは、なくなるだろーな)(え、それはヤダ。ゲンミツに困る)               

(コイツ、無意識にいいとこ取りしよーとしてんな・・ったく、これだから大家族の末っ子はよー)


 

scorebook / next

123:禁猟区域 .....鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date  08.01.16   up date  08.05.24
9組ブラザーズ(長男:泉 次男:田島 三男:三橋)、長男から次男のための恋愛講座