紺碧




「(・・今日もいるのか)」

部活終わり、チームメイトと共に阿部隆也は本屋の入り口をくぐる。途端、紙のにおいというかインクのにおいというか・・・まるで図書館にいるかのようなにおいが体を包み、どことなく気持ちが落ち着く気がする。西浦高校付近には数店舗の本屋があるが、阿部にはこの「鳩羽書房」を訪れる数少ない客である自覚がある。学校から一番近くにあるのは鳩羽書房ではあるが、普通は他のもっと大きな本屋へ生徒たちは向かうからだ。それら全国展開しているような本屋と違い、ここは決して大きな本屋ではない。けれど狙ったかのようにツボを突いてくる品揃えと、マニアックというかコアな雑誌書籍は言うことなしで、所狭しと並べられた本は圧迫感すら与えるほど。客があるとは思えない古めかしい学術書の背表紙が光に焼けて色褪せしていたり、踏み台を使わなければ届かない棚に並べられた本を手に取ると舞う埃については、目を瞑るとしよう。昼間は60を越えたと思しき爺さんが店番をし、事実その人がここの店主であるらしいのだから、細部まで手が回らないのは仕方ない。

そんな本屋が、彼ら西浦高校硬式野球部の部活終了時間まで店を開けているのは、あのバイトの人のおかげだと阿部はこの店を知って早々に悟った。夜の9時を回ったこの時間にあの本屋が開いているのは月・水・金の3日だけで、そのときにはかならずあのバイトが店番をしているからだ。

「あべー、何買うのー?」
「今日水曜だろ?」
「あ、そっか」

初めてこの本屋に来たときには、何がどこに並んでいるやらわかりにくいと苛立ったものだが、もはや一瞬の迷いもないのだから随分慣れたもんだと思う。雑誌やらは大概、入り口付近に並べられているものだが、店の奥にレジがあるせいで雑誌類も奥のほうに無造作に並べられている。こういうので客寄せをするんじゃないのか、と思うが、おそらくターゲットとしている客層が違うのだろうという結論にいつも落ち着く。店の入り口付近にあるのは“純文学”に分類される書籍だ。

「・・あれ、無くない?」

ひょこひょこと後を付いてきた栄口が、積まれている雑誌を一瞥してぽそりと零した。目的としている雑誌はメジャーかマイナーかでいうとマイナーな部類で、発売日に確実に手に入るのはこの界隈では鳩羽書房だと経験則で知ったからこそ、こうして毎週水曜日通っているのに。目的の品が科学雑誌Natureの隣に平積みにされているのをはじめて見たときは「オイオイ、マジかよ」と思ったりもしたが、見慣れてしまえばそれが阿部にとっての普通で。だから今日のように、Natureの隣にプレイボーイが山積みになっていたりすると、かなり面食らってしまう。・・・いや、そうじゃなくても十分面食らう品並びではあるけれど。

「あーッ! あべがプレイボーイ買おうとしてるーッ!」

ひょい、と背中から覗き込んできた田島が、店中に響き渡る大声で叫んだ。

「バ・・・ッ、ちっげーよ!」

珍しくこっちのほうまで付いてきた田島の オレは新しいエロ本買おうととおもってたんだー!、という台詞を掻き消すように大声を上げる。栄口や花井ならともかく、田島が本屋にまで引っ付いてくることなど皆無なのだが、どうやら今回付いてきた理由は果てしなく不純なものだったらしい。

「ってお前ら声、声デカイ!」

ぎょっとしたように花井が田島の口を押さえた。本来キャプテンであるはずの花井なのだが、最近本格的にチームメイトのお守りが板についてきている。いいことなのか悪いことなのか・・・まぁ別にいいかだって花井だし、とかなり投げやりに副キャプテンが結論を出したとき。

「あ、悪ィ! ちょっと待ってて!」

それまで我関せずの姿勢を貫き、レジでずっと本を読んでいたバイトの人が突然声を上げた。よくそれで店番が務まるな、というかそれでいいのか、といつも思うのだが、レジに行けばすぐ本から顔を上げるし、入り口の扉が開けば目を向けているから別に構わないのだろう。基本的にこの書店は、客が少ないのだ。

それだけ言って店の奥へ消えたバイトさんの背中を、残された彼らは唖然と見送る。うるさいと怒鳴られても決して文句は言えない状態で、いきなり「悪ィ!」ときた。こちらは毎週のことだから顔も覚えてしまっているが、向こうにとって自分はただの客に過ぎない。交わした言葉は「350円になります」「ありがとうございましたー」という言葉だけで、しかも自分は一言も喋っていない。誰かと勘違いしているんじゃねぇだろうな、という思いが阿部の頭を掠めるが、それはそのバイトが手にしていた雑誌で打ち消される。

「これだろ? “週刊ベースボール”」
「・・え、なんで・・」

その人は、目的の品“週刊ベースボール”を片手ににやりと笑った。

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