金曜の朝、いつものように朝レンにやってきた田島は、けれどいつもと違って不機嫌だった。不機嫌、というと少しニュアンスが違うかもしれない。ただ、グラウンドに入ってくるときの「ちわっ!」の掛け声がいつもより少し小さくて西広と同じくらいの声の大きさだったとか、いつもは30秒もあれば終わらせる着替えに1分かかったとか、変化といえばそのくらいのもので。練習が始まれば、結局のところ野球バカの手本みたいな田島は打球の方向を叫ぶ声と、カキンという快音をいつもと同じくグラウンドに響かせたし、野球をやっているということが楽しくて楽しくて仕方がないという姿は、それこそ普段と変わらなかった。
けれど、それも“野球”をしている間の話で、ユニフォームから着替えたら奴のテンションは野球部員全員が思わず心配するぐらい急激に降下して。これが三橋であれば、ああなんだ三橋か、と知らない間に出来上がっていた役割分担で、栄口か泉、無自覚に田島あたりが引きずり上げに行くのだが、事が田島だと話は違う。
なんとなく奇妙な静けさの漂う部室で、ロッカーの戸をばたんと閉めた田島の口から「・・はぁ、」と小さな溜息が漏れたとき――遂に、勇者が名乗りを上げる。
「た、じま君・・・今日、ど どうしたの?」
いったー! 三橋が言った、さすが天然我らがエース! 素知らぬふりを装って、全員の耳はまるでダンボである。
「なんか、げ 元気ないけど・・・・大丈夫?」
己の手元を見ながら言葉を紡いだ三橋が、おどおどと顔を上げたとき――そこにいたのは、きらきら光る瞳に大粒の涙を浮かべた4番の姿だった。
「み・・三橋っ! 店締まってて、真っ暗で、人いなくて・・・もしかしてあそこ、もう店やめるとか言わねぇよなぁ!?」
「ぅ、ぅええッ!?」
「せっかく会えたばっかなのに、もう会えなくなるなんて・・そんなの絶対嫌だー!」
基本的に同族である三橋にも、この田島の言葉はさっぱり意味がわからないらしい。ただでさえ容量の小さな三橋の脳ミソが、嫌だ嫌だと連呼しながら抱きついてくる田島にかける言葉を探してパンクしそうになっている。そのうち耳の穴から煙出てくんじゃねぇの、と阿部は酷く冷めた面持ちでそれを見つめていたが、三橋の耳から煙が出るより早く目から水が垂れ流しになるほうが早くてぎょっとした。三橋のことだ、少し頭を使えば、分かりきっていたことなのに!
おそらく田島の今の台詞から、全体を把握するとまでは行かなくとも話の一端を理解したであろう花井と栄口に視線をやる。・・・思い切り不自然に逸らされた二対の視線に対して、このくらいの殺意なら抱いても許されるはずだ。
「あー・・田島? もしかしてお前、昨日もあの本屋行ったのか? 練習終わりに」
「行った! でもシャッター閉まってて、店も暗くて、もいなくて・・・」
あの本屋? ってダレ? 状況がさっぱり見えないであろうチームメイトはこの際、置いておく。とにかく、まずは田島を何とかしなければ・・・そろそろ部室を出なければならない時間である。
「いや、別に店たたんじまったとかそーゆーんじゃねェと思うけど?」
「・・なんでだよっ。だって、おとといと同じくらいの時間に行ったのに、昨日は閉まってたんだぞ!」
ぐす、と田島が鼻をすすり上げる。・・ウチの野球部はどうも、涙腺の弱い奴が多すぎやしないか。
「昨日はあの人・・サン?が店番に入る日じゃなかったんだよ。だから早くシャッター閉めたんじゃねぇかな」
「・・・・そう、なのか!?」
「心配なら、今日も行ってみたらどうだ? 金曜だからきっと開いてるぜ」
ぱぁあ・・っ、と見る見るうちに表情を明るくしていく田島はある意味見ものだ。それまでしがみ付いていた野球部のエースをまるで抱き枕みたいに放り出すと、田島の目には既に、それはそれは綺麗に3回転して床にへたり込む抱き枕エースの姿など映っていない。おそらく今、田島の思考を占めるのは野球と本屋と今日の昼飯の3要素だけだ。
「よぉおおっしゃーッ!」
復活の雄叫びを轟かせた田島は、誰よりも速く、まるで弾丸のように部室から飛び出していった。――別にお前が早く授業に出たからと言って、終わりが早まるわけじゃあないんだけどな・・・ぼんやりとそんなことを考えながら、阿部はぽかんとして固まっている花井の肩を叩く。
「花井、口開いてんぞ」
「・・ッ!」
「それから、あとの説明よろしくな」
「―――は? ・・ってちょっと待て、おいコラ阿部・・ッ!?」
花井の悲痛な叫び声は、説明を求めるチームメイトの呪詛に飲まれて消えた。
どうしてこんなことに、と阿部は腹の底から溢れてくる溜息を惜しみなく漏らす。総勢10名の西浦高校野球部員が揃いも揃ってずらずらと――誰も彼もへとへとになっているはずなのに、「やっぱ疲れてるし今日は帰ろうぜ」などとは決して言い出さないのだから、野次馬根性が据わっている。せがまれれば断れない性質の持ち主だし、どこからどこまでを話していいのか頭の中で全く組み立てていなかったのだろう、花井は一昨日の夜のことを全てゲロった――・・そう、一から十までを全て、である。
「お前ら3人が男と見間違うなんて、どんな女だよそれー」 とゲラゲラ笑ったのは水谷で、
「でも田島が惚れたっつーのは見てみてぇよな」 とニヤニヤ笑ったのは泉で、
「田島の話じゃキレーな人らしいし」 と意外と食いついてきたのが沖で、
「それにしても、4人中3人が男と間違うってありえなくね?」 と呆れながらも普通に乗っかってきたのが巣山で、
「でもホント、どんな人か気になるよねー」 と最後を締めくくったのが西広だった。
三橋がただひたすら、全員の好き勝手極まりない意見にうなずき通しだったのは言うまでもない。
「こっちこっちー!」
得意気に先導を切る田島のチャリを、何度蹴倒してやろうと思っただろう。はさー、とあの人を話の中心に引っ張り出すことにも呼び捨てすることにも、何のためらいも見せない喋り口に「お前は一昨日が初対面だろうが!」と何度怒鳴りつけたいと思っただろう。大体、あの鳩羽書房にいち早く目をつけていたのは自分なのに――! なんだか自分のテリトリーを荒らされているような気がして、感情を逆なでされる。
・・いや、本当はそうじゃない。自分だって、毎週水曜に雑誌を買って、ただそれだけなのだ。ただ、それだけ。なのに、さも自分の“領域”のような気がしていることや、それに対して苛立ちを覚えていること――そういう、自分でもワケのわからない「ズレ」が、酷く胸くそ悪い。
「阿部の言うとおりだ! うあ、ホントよかったー!」
窓から暗い路地に漏れ出す明かりを見て、田島が心からホッとしたように声を上げる。サドルから腰を浮かした田島は、後についてきているチームメイトのことなどもう忘れてしまっているかのように、ぐっ とペダルを踏み込んだ。練習中にあれだけ走り回り、動き回り、はしゃぎ回って今日の氷オニでは1位になったはずなのに、よくもまぁ体力がもつものだと呆れを通り越して感心してしまう。
「へー、なに あそこ?」
「ホント、なんか雰囲気あんなー」
がやがやと騒がしい面子から抜きん出た田島は、スピードを殺すことなく店の前に急停止した。けたたましいブレーキの音が、夜の空気に吸い込まれていく。部員たちの視線が集中する中、ハッと気が付いた花井と阿部が制止をかけるより早く、
「ーッ!」
「「(あンの・・っ、バカ!)」」
田島は店の戸を開け放つと同時に、腹の底から声を叫んだ。
(! うわ、ビックリしたー。・・って、田島?)(! 元気だった!?)(いや、一昨日会ったばっかじゃん)(だって昨日会えなか(すんません、ホントすんません!)(いいって、気にすんなよ花井。あれ、阿部も栄口もいる・・って、なんか・・お前ら 増えてね?)
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016:私的運命論.....鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date 07.12.18 up date 08.02.04
「鳩羽書房」の主人公は西浦ーぜです。・・・・夢小説って、なんですか。