天色




「へー、深淵大学の学生さんなんだぁ!」
「はい、農学部の2年です」

監督とサンが二人、並んで話をしている。ボールが打ち返される、空に響き渡るスカッとした音に紛れながら、その会話は途切れ途切れに阿部の耳に届く。サンは別に西浦高校の卒業生でもなければ、大学でソフトボールやらをしているわけではない(前に雑誌を買いに行ったとき、神妙な顔で「・・シンカーって、何?」と聞かれた。田島の話に出てきたが、話に飲まれて聞けなかったらしい)。このグラウンドで、自分たちの練習を見ながら監督と並んで話をするサンなんて、数週間前には思いも寄らなかった。その時あの人は本屋の店員で、自分は一介の客に過ぎなかったのに。

ー!」

打席から大きく手を振る田島に、サンも小さく手を振り返す。苦笑の浮かんだ口元が、「スミマセン」と動いた気がした。

「オレ、ゲンミツに打つから!」

左手にバットを握り、まるでホームラン宣言でもするようにサンにそれを突きつけて。きゅ、と右手でメットをかぶり直し、口元を緩めて。 “大胆不敵” に田島が笑う。

「きっと、はオレに惚れ直すよ!」

まるで二人の間に一本の道筋が出来たように、視線が絡む。他の人間が入り込むことを許さない空気。ピン、と張り詰める彼らだけの静謐。田島は、田島だけが持ちうる野球をしているときの真剣さを、決して大きくない体から漲らせていた。何者にも揺るがされることのない集中を瞳に宿して。

――・・やれるもんなら、どーぞ?」

くんっ、と唇の端を吊り上げて、サンが挑発的に笑う。それはまるで“男と女の駆け引き”というよりは、“男同士の賭け試合”のようだと阿部は思った。サンの台詞が、田島に対する侮りからきているのではなく、むしろ期待から生まれた言葉なのだと、その場にいる全員が理解した。打席に立った田島が、ニッとその笑みを深くする。

ふと気が付いたときには、誰もがその様子を固唾を呑んで見守っていた。奴らが生み出した空気が、グラウンド全体を飲み込んでいた。張り詰めた糸のような緊張が場を支配して、囃し立てようとする声を封殺する。練習中も、試合中も、ユニフォームを着た田島は阿部から見ても格好イイ。それはチームメイトだという贔屓目を除いても、おそらく間違いない。思わず目を惹きつける魅力を田島は確かに持っているし、それは田島の努力と才能に裏打ちされたものであることを阿部は知っている。今この空気の中心にある田島はいつもと同じか、むしろいつも以上に眩い光を放っている――それを確かに認めながら、阿部はわずかに下唇を噛み締める。

――・・カキーン! 夏の青空に吸い込まれていく音は次の瞬間、囃し立てる拍手と口笛に飲まれて消えた。



「うまそう!」
「「うまそう! ・・ッ、いただきます!」」

篠岡がお盆に抱えてくるおにぎりの量は、毎度のことながら壮観だ。一斉におにぎりに飛びつく連中に紛れながら自分の分のおにぎりを頬張って、阿部は無意識的に周囲をうかがう。グラウンドの向こう側は夜に塗りつぶされて、ただこのベンチだけがにぎやかな明るさに満ちている。それは阿部にとって身近なものであると同時に酷く落ち着くもので。牛乳をのどに流し込みながら、阿部はきょろきょろと辺りを見回した。

「牛乳おかわりいる人ー?」

牛乳パックを片手に呼びかける篠岡の姿が目に入り、反射的に思い出す。
最初こそなれない見学者の存在に戸惑っていたメンバーも、気が付いたら練習に打ち込んでいた。捕って、投げて、打って、走って・・・ひとつひとつの動きに血脈が波打ち、筋肉が踊る。額を伝い、首筋を流れ落ちる汗。首の後ろをじりじりと灼く熱い太陽。頭上を覆う突き抜けるような青空。悠々と泳ぐ白い雲。あの人も――あの人も今、同じ場所に立ち同じものを見ているのだという事実がじわりと体に沁みて、見遣った背中は篠岡の後ろについてボール拾いに勤しんでいた。

「あー、篠岡・・あのさ、」

サン、どこ?――・・なんて聞いたら、やっぱ変? 変か? 連れてきたのオレじゃねーし、なんで阿部くんが気にするんだろうってなるよな、フツー。え、つかなんでオレあの人のこと気にしてんだろ。確かに外もう暗ェけど、篠岡だってまだ残ってんだし、何よりあの人下手な男より男っぽいし・・・心配する必要なんざねーのに・・ってもしかして田島が!? ・・あ、田島いるわ。そりゃそーだ、コイツがおにぎりを目の前にどっか行けるはずがねェ。や、でもマジどこ行った? まさかとは思うけど、あの人迷ったとか 「さんなら、先に帰ったよ」 えええええ!?

「うっそ!? なんで!?」
「・・・・田島、喋るときは口の中のものを飲み込んでからにしろ」

顔面に咀嚼途中の米粒を散らせた状態で、ひくりと青筋を浮かべた花井はいまいち迫力に欠ける。

「おにぎり作るの手伝ってくれてたんだけど、ちょうど終わったくらいに迎えの人が来て」
「・・迎えの、人?」

きょとん、と首を傾げる田島を余所に、どうやら会話を聞いていたらしい水谷がグッと身を乗り出してくる。

「もしかして男!?」
「え、うん。なんか、髪がこのくらいまであって、」

そう言いながら篠岡は自分の肩辺りを手で示した。 「私より長かったなー」

「それ、ほんとに男?」
「うん。20代後半ってとこかなぁ・・・すっごく高そうなスーツ着てて、メガネかけてて、背もすらっと高くて、なんかもう・・っ、」

ぐっと言葉をためる篠岡に、全員の視線が集まって、(つーかなんで全員話聞いてんだよオイ)

「ほんっっとうに、カッコよかった!」

わずかに、手の平のおにぎりが変形した。それをごまかすように口に頬張り、幾度か咀嚼を繰り返して飲み下す。今手の中にあったのがおにぎりでよかった。牛乳パックだったりしたらまた、水谷に恨み言をぶちぶち言われる結果になったかもしれない(完璧無視するに決まっているが)。

「へーっ! カレシ? カレシっぽかった?」

――このクソレフトは本当、西広とレギュラー交代すればいいと思う。

「うーん、あんまりそんな感じには見えなかったかなぁ。さんも、カレシいないって言ってたし」
「・・、オトコなんていねぇって言ってたもん」
「・・田島、お前そんなことまで聞いたのか」

でも出来ればそいつと一体どういう関係なのか、というか本当に男はいないのかメールで聞いてみろよ――なんてのは流石に、あんまりにもカッコ悪すぎて言えなかった。

掴み損ねた空の切れ端

(・・ッオレ、に電話してみる!)(えええええ、今ぁ!?)(水谷じゃないけど、何も今しなくてもいーんじゃねぇの? 田島)(あの、巣山? どうしてわざわざオレを否定す(だって、スゲー気になるもん! しのーか、そいつすっげぇカッコよかったんだろ!?)(え、あ・・うんっ! // ここで「みんなも全然カッコイイよ!」って言っても、説得力に欠けるよ ね・・)(に限ってそーゆーことなさそうだけど、万が一ってのもあるもんな!)
(((・・それは一体どーゆー意味だ? 田島)))


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061:掴み損ねた空の切れ端.....鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date  08.01.07   up date  08.04.16
野球をしているときの田島サマは無敵。