沖一利はこのところ、我らがチームの極めて優秀なキャッチャーに対してビビりにビビッていた。いや、 “キャッチャーに” というのは少し違うかもしれない。とても微妙なニュアンスで、沖は “阿部隆也” という同級生にビビッていた。流石に三橋ほど竦みあがったりはしないものの、けれど近からずも遠くない。あの、コッチの考えを見透かそうとする・・いや、実際のところ見透かしているかもしれない視線に晒されると、首根っこを押さえつけられたように心臓がキリキリ痛む。さりげなく視線を泳がせる自分自身に気付いたとき、沖は思わず三橋と己の姿を重ねていた。
沖が中学で軟式ボールを追いかけていたころ、シニアで硬球相手に勝負していた阿部は沖の目から見ても――直接聞いたことはないが、おそらく他のメンバーから見ても――阿部の野球はとてもスマートで、生れ落ちた瞬間からその身に宿していた才能や、これまで積み重ねてきた努力や経験に裏打ちされた彼の野球は、いつだって自信と誇りに満ち溢れている。いつだって天真爛漫に、野球が出来る楽しさや嬉しさ、勝負に対するひたむきさや喜びを体中から発散させている田島は、喩えるなら真夏の太陽。いつだって冷静沈着に、自分とそう変わらない体から闘志をみなぎらせ、迷うことなく真っ向から勝負事に挑んでいく阿部は、喩えるなら夜空に浮かぶ月。
マウンドから放った自分の投球が、小気味よい音と共に阿部のミットに納まる様はこれで結構心地よいものだし、実際、あんな風に自信満々な態度でリードしてもらえると一人おたおたしなくてすむ。肩に圧し掛かってくる責任やプレッシャーはただ少し土が盛り上がった場所に立っただけでものすごいものになる。沖はそんな投手というポジションが嫌いではなくても、決して好きではない。けれど、戦っているのは自分ひとりではないのだと。青い炎を揺らめかせてキャッチャーミットを構える阿部の姿は、沖に悠然とした態度で教えてくれる。多少の傲慢と不遜を持って。西浦高校野球部員に、阿部が野球バカであることを否定するヤツはいない。ちゃんと尋ねたことはないけれど、おそらく、確実に。
「(でも、それとこれとは 話が違うんだよなぁ・・・)」
「沖、そのウィンナーはオレがもらっちゃっていいのかな」
とめどない思考の海に漕ぎ出していた沖は、笑みを含んだ西広の言葉にハッと我を取り戻した。視線の先で西広がくすくすと忍び笑いを漏らす。西広が箸で示した先には、フォークに突き刺された状態のまま宙ぶらりんで放置されているウィンナー。じわじわと熱くなる顔に気付かないフリをして、沖はそれを口の中に放り込む。
「それで? 沖は一体何をそんなに考え込んでたの?」
一口、ふりかけのかかったご飯を口の中に放った西広は、黙り込む沖の目の前でにこにこと人好きのする笑みを見せていた。チームの主軸をなし、西浦野球部の矛となるのが田島や花井、そして阿部とするのなら、盾は栄口や西広に違いないと沖は思う。攻撃の要だとかそういうものではなく、精神的な意味合いで。落ち着いていて、穏やかな西広はクラスの中心にいるわけではない。けれど成績優秀で物腰の柔らかい西広は3組の、そして野球部の最終砦だ。
「あー・・あのさ、」
一旦そこで言葉を区切り、沖は意を決したように胸のわだかまりを口にする。
「西広はその・・・、阿部・・怖くない?」
「ううん、全然」
――うーわぁ、即答だったよ西広。そんなきょとんとした目でオレを見ないでー! やっぱりただオレがビビりなだけ!? 薄々そうかもしれないとは思ってたけど、やっぱりそうなの!?
「沖は、阿部が怖いの?」
「怖い・・ってゆーか、・・・だって阿部ってすぐ怒鳴るじゃん!」
そう、あの怒鳴り声! 何の前フリもなく腹の底から大声を搾り出されると思わず身が竦む。それがたとえ三橋に向けられたものだとしても、耳がその声を捉えると沖は無意識的に阿部の立つ場所を確認し、視線の先にいるのが自分ではないことに安堵してしまう。そして阿部の思い切り険のある眼光の先で、蛇に睨まれたカエルのように、トラックに積まれて運ばれていく仔牛のように、モモカンに頭を掴まれた田島のように、小さく身を縮こまらせる三橋に沖は心の中でエールを送るのだ。
「あはは、確かにねー。阿部は冷静だけど、突然メーターが振り切れるもんね」
「昨日だって、帰り際ひどくなかった!? なんかこー、すっごいイライラしてたっていうかさ」
思い返しただけで寒気がする。試合中、バッターに挑むときに阿部が静かに燃え上がらせている闘志を、そのまま怒気に置き換えたかのような。その背中からちろちろと青白い炎が立ち昇っているのを一瞬、ごくわずかな時間垣間見てしまった沖は、一気に食欲をなくしてしまった。食事の時間というのは楽しく和気藹々としているべきで、般若と同席しておにぎりを頬張れるほど、沖の心臓は強くない。
「ほんと、阿部って子供だよね」
―――・・・・え? えーっと、西広? オレの話聞いてなかったなんて、そんなことない よね? なんていうか、全然話繋がらないんですけど・・!
「気になるなら、ちゃんとさん本人に聞けばいいのにって思わない?」
「・・・・え、」
「阿部も大概疎いっていうか――・・あれ? もしかして沖、全然気付いてなかった?」
「・・・・・・・・・・田島、は」
「そーなんだよね。オレが思うに、あれで田島も結構本気だと思うんだー。今のところ、田島がリードって感じかな」
デザートのウサ耳りんごをかじりながら、西広はあっけらかんと笑ってそう言った。サーッ、と昼休み独特のざわめきが後ろに遠ざかっていって、沖の意識は昨日へと時間軸を遡る。休憩中に飛び出たさんの話題、迎えの人が男だったとわかった後――そういえば、阿部の機嫌が遊園地のアトラクションも真っ青な急降下を記録したのは、あの時間からだったじゃないか!
「(・・・・阿部は、あの人のことが好きなんだ・・!)」
じわ、と心臓が熱くなって、それが全身にゆっくりと浸透していく。なんだそうか、阿部も、阿部だって。
「阿部本人が気付いてないっていうのが、問題なんだけどね」
「・・やっぱり、そうなんだ」
「うん、多分」
「そ、っか」
「・・これで少しは、阿部のこと怖くなくなった?」
にっこりと笑う西広が、実は一番の食わせ物なのかもしれないと思った。
「・・・ちょっと、ね!」
(・・西広、いつそれ気付いたの?)(最初からだけど)(最初・・・って、みんなで顔見に行ったとき!?)(うん。だって阿部、わかりやすいから)(オレは全然気付かなかったよ・・)(てゆーか沖、急がないと昼休み終わっちゃうよ?)(えッ!? うわ、やば(おーい沖、ちょっといいかー・・・ってまだ食ってんのお前)(あ、あああ阿部ぇ!?)(ンだよ、そんなビビることねーだろ。つーかあと昼休み5分しかねぇけど、大丈夫か?) (阿部の顔を直視できないなんて言ったら、怒られそー・・!)
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025:君と世界の境界線.....鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date 08.01.10 up date 08.05.04
フォークでお弁当を食べる沖と、ウサ耳りんごをかじる西広がいたら絶対可愛いに違いないという話。・・もうこれ夢小説じゃな